イッキの太鼓日記 ここではリーダー・日野イッキが太鼓と出会ってから今までの経緯を連載で書いていきます。 もしよかったら覗いていってみて下さい。 |
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1、日野君、太鼓やってみーへんか? 6、当たり鉦 2、和太鼓と出会う 7、当たり鉦パート2 3、曲の練習開始 8、初公演 その1 4、曲の練習 その2 9、初公演 その2 5、自衛太鼓 |
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日野君、太鼓やってみーへんか? みなさんは和太鼓と出会った、又は興味を持ったキッカケは何でしょうか?「どこかのチームのコンサートを見に行った」「チラシやテレビで見た」「お祭りの時の太鼓で・・・」等色々あると思います。 しかし、僕が太鼓と出会ったのは全然違う環境での事でした。 僕が和太鼓と出会ったのは平成10年の2月頃でした。ある日上司が僕を呼び、いきなり「日野君、太鼓やってみーへんか?」と言ってきました。「え?」「太鼓や太鼓。ここに太鼓隊があるのは知ってるやろ?今部員募集してるみたいやねんけど、ちょっと行ったってや。」 上司は僕が高校生の時、マーチングでパーカッションをやってた事や、ドラムも叩いていたのを知っていたので、太鼓もドラムも一緒やろと思い僕に目を付けていたみたいでした。 しかし僕は太鼓(当時は当たり前だが、ここの太鼓しか知らなかった)に対してあまり良い印象がありませんでした。それは、盆踊りの時やクリスマスコンサートで演奏しているのを見たことはありますが、何かわけのわからない振り(自衛太鼓独特の振りらしい)や、一瞬で終わる曲(何がやりたいのかわからない)が多かったし、なによりも迫力がなかったからです。チームの中には僕の同期がいたから見ただけで、「なんや太鼓ってこんなんか・・・」と思っていたくらいでした。 「まあ、取りあえず明日から行ってよ。頼むわ。」「・・・わかりました。」といったものの心の中では「まあ、少し行ってみて、おもんなかったらやめたろ」と思っていましたが。 次の日、また上司に呼ばれ「日野君、今日からやで。しっかり頑張れよ!」・・・頑張れよって言われてもなあと思いながらも、「わかりました。」と言い太鼓部屋に向かいました。 2003.04.02 |
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和太鼓と出会う 太鼓部屋は、グラウンドの隅の方にある、古い木造の建物の一角にありました。もちろん、防音設備など整っていません。 ドアをノックして入ってみると、休憩中だったのか、みんなタバコを吸ってジュースをのんでガヤガヤしてて気付いていない様子でした。が、同期のFが僕を見つけ「おー!日野っち(同期から僕はこう呼ばれていた)、来るの待ってたぞー。」の声でみんながこっちを一斉に向き注目の的に・・・。すると奥から体格のガッチリした人がこっちに来て、「君が、日野君か。色々話は聞いてるでー。まあ、上がってよ。」と言ってきたので、上がらせてもらいました。 さっと周りを見渡すと、大きさの違う太鼓(長胴太鼓)が4つ、小さい太鼓(締太鼓)が1つあり、奥にはとても大きな太鼓(桶胴太鼓)がありました。さっきの人(ここの部長だった)に「叩いてみるか?」と言われ「え!?」と思いましたが、バチを渡されたので、叩いてみることにしました。しかし・・・まずバチがこんなに太く、重たいものだと思いませんでした。(自衛太鼓はほとんど樫バチ)「こんなんで叩いてるんかあ」と思いながらも、一番大きな太鼓を叩かせてもらいました。 「ドーーン」 すごい大きな音がなり驚きましたが、それよりも、お腹に響いた感じが何ともいえぬ印象を受けました。「これが和太鼓の音か・・・。」 しばらくすると、「みんな集合。」の声がかかり、部員の紹介が始まったので、僕も、「00中隊から来ました、日野です。よろしくお願いします。」と軽く挨拶をしました。部長が「太鼓はしんどいけど、一緒に頑張ろうな?」と言ってきたので、「はい!」と言いましたが、正直この時点では、「何がしんどいんかわからんけど、大した事ないやろー」と思ってたので軽い気持ちで、練習に入りました。 それでは、ここで当時の練習内容の一部を紹介しましょう。まずはグラウンドで軽く5キロ程ランニングします。そのあとダッシュを何本かやり、ストレッチを行います。すこし休憩したのち太鼓部屋に戻り、姿勢練習を30分位して、基本打ちや曲の練習に入っていきます。 ランニングは別に大した事はなかったのですが、姿勢練習には泣かされました!自衛太鼓独特の構え方(左足を前に前後に開き、左のひざはほぼ90度位曲げる)があり、最初の頃は太鼓など全然叩かせてもらえず、こればかりやらされました。おかげで、左足の太ももはパンパンに張り、ひざは常にガクガクしてました。「くそー、いつになったら太鼓叩けんねん!」と思いながら、姿勢練習だけの日々は過ぎていくのでした。 2003.04.10 |
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曲の練習開始 姿勢練習だけの日が2週間くらい続いたある日、部長が「日野君、そろそろ曲やろか?」と言ってきました。僕は「いつまで姿勢練習やらすつもりや」と思っていたので、その言葉が嬉しくて「はい!」と言いました。しかし、この2週間よく耐えたなと自分でも思います。初日、2日目など、慣れない姿勢が苦になり、「もうええ、辞めや」と何回も思ったのですが、舞台に立つどころか、曲もやってないまま終わるのは嫌だし、僕とちょうど同時期に太鼓隊に入った2人がいるのですが、「こいつらには負けん」と思ったので、姿勢に慣れるため練習時間外に毎日一人でやることにしました。。食事の前、風呂に入る前、寝る前と、暇を見つけては姿勢をとっていました。そのおかげか、日に日にだんだんしんどくなくなり、長い時間姿勢をとれるようになりました。他の2人は相変わらず苦しんでますが・・・。 そして、いよいよ曲の練習です。僕たち新人3人が部長に呼ばれて、「まず、四季打ちっていう曲をやるで。」と言われました。この曲は、春、夏、秋、冬のそれぞれの季節を太鼓で表現した曲のようです。なぜこの曲から入るかというと、リズムが比較的簡単な事から、ここでは新人の登竜門となっているみたいです。「実際どういう曲なのか一回聞いてくれ」と部長が言ったので、先輩方に演奏してもらい、それを聞かせてもらいました。・・・感想は「なんじゃこれ?」でした。「どこが春なの?」「えっ夏は?」「秋はなんとなくわかるけど、冬はどこ?」頭の中でこのような言葉が浮かんでは消えていきました。しかもテンポが無茶苦茶。ブラスバンドで部長をやっていた時、テンポにはうるさくみんなに言ってきてたので、よけいに、この曲のあまりのテンポの酷さにあきれました。 部長 「こんな感じや。わかった?」 僕 「わかりません。」 部長 「・・・まあ、取りあえず外に出てやるで。」 僕 「はい・・・。」 こうして、僕たち3人は外に出て四季打ちを覚える事になりました。 「まず、春からいくで。少しずつ叩くから真似してな。」と部長。「え?楽譜は?」と僕は言いました。しかし、「ないねん。」とあっさり言われました。あとから知ったのですが、ここの太鼓隊の曲のほとんどは楽譜がなく、叩いて新人たちに伝えていくという事をしているみたいでした。というより、ほとんどの太鼓隊もこのような事で教えているみたいで、これには正直驚きました。なぜなら、僕は今までやった事のある曲は、すべて楽譜があって、それを見ながら叩いて覚えていくやり方や、楽譜を頭にコピーして覚えていく方法だったからです。でも、「・・・まあ、なんとかなるやろ」と思い、部長の一打一打を集中して聞くことにしました。しかし・・・「いくでー。ドッコドッコドッコドッコ・・」と始まった瞬間、「部長!すみません。それなんですか?」と、いきなり聞いて止めてしまいました。「え?最初は、はねてんねん。わかる?」と言われ「ははあ、この感じやと3連の中抜きやってんねんな」と思いましたが・・・「こりゃ、一回一回聞かなわからんな・・・」 そうこう思っているうちに、次のフレーズが来ました。「タン タッタン タ タッタ・・」「なんですかそれは?」・・・聞いたまま叩いたらいいものを、この時は妙な気持ちがあってそれが出来ず、なかなか先には進めないまま一日が過ぎていくのでした。 2003.05.09 |
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曲の練習 その2 さて、四季打ちの「春」を一通り教えてもらったその日の晩、「楽譜がないんやったら、自分で書いたれ」と思い、さっそく書き出しました。そうすると、「なるほどー、ここは繰り返しかあ」とか「ここは裏拍から入るんやな」とか、練習の時に曖昧だった所が、ハッキリわかるようになりました。「やっぱり、楽譜は必要やな・・・」 完全に暗譜(曲を覚える事)出来た所で、練習開始です。練習といっても夜なので、太鼓を叩くわけにはいきません。どうするのかというと、椅子に座った状態で膝の上あたりを叩きます。よく、打楽器をやっている方は、ここをたたいて練習しているみたいです。「そんな所を叩いて痛くない?」とよく聞かれましたが、正直、始めの頃は痛かったです。真っ赤に腫れ上がって、練習どころではなかったです。が、今ではカチコチに硬くなって痛くもなんともない状態です。でも、調子に乗ってやりすぎると・・・「うーん、痛い・・・」 次の日、太鼓部屋に集まり、練習が始まりました。新人3人は外です。 部長が「さあ、昨日の復習やろか?」と言ったので3人で「春」を叩くことになりました。・・・結果、僕は完璧に叩けましたが、2人はボロボロでした。まあ、まったくの初心者だし、昨日の今日ですから、無理はないと思います。 部長 「日野君、凄いな!もう覚えたんか?1日で覚えるなんて、うちの太鼓隊始まって以来 のことやで。」 僕 「そうなんですか?ありがとうございます!」 部長 「さすが、ドラム経験者やな。じゃ、日野君は、夏の部分に入ろうか?」 僕 「はい。」 部長 「2人はちょっと春を練習しといてー。」 2人 「はーい。」 部長 「日野君、夏はな、地打ち(曲のベースになるリズム)のテンポが変わるねん。ちょっと聞いててな。」「テンツクテンツク・・・」 確かに「春」の跳ねている感じから一変、軽快な感じに変わりました。でも、「おいおい、それやと、テンポが変わったんじゃなくて、リズムが変わったんやろ。テンポは春と一緒やんけ」そう思って言おうとしましたが、やめました。 部長 「ちなみに、夏から冬までの地打ちはこれやから。」 僕 「わかりました。」 部長 「じゃあ、夏に入るでー。せーの、ドンカカドンドンドーンドン・・・」 こうして、「夏」「秋」「冬」と進み、結果的には1週間でマスターしました。部長は「凄い!日野君。1週間で覚えた奴なんか初めてや!天才やなー。」と言っていましたが・・・おいおい、言い過ぎやで。しかし、普通ならこれで終わり、あとは繰り返し練習ですが、自衛太鼓はさらに、難解な振り付けがあるのです。それをマスターしないことには、舞台には立てません。ちなみに、あとの2人は、まだ「春」をやっていました・・・。 2003.06.04 |
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自衛太鼓 曲を一通り叩けるようになったところで、いよいよ、独特の振り付けに入っていくのですが、少し話をそれて、簡単に自衛太鼓について書きます。 自衛太鼓の歴史は、詳しくは知りませんが、だいたい30年くらい前からだと、以前どこかで聞いた事があります。発祥は北海道で、ある自衛隊の太鼓チームが、『北海太鼓』という所に習いに行き、、そこから『北海自衛太鼓』として旗揚げをした事が、始まりとききます。(間違っていたらすみません)そして、それが、全国の自衛隊の太鼓チームに広がり、現在に至るわけです。 自衛太鼓の振りには基本があります。『しの字』といって、字のごとく流れる動作の練習なんですが、これが難しい。言葉では言いにくいですが、まあ一言で言うなら、たこ踊りですね。常にクネクネして・・・。これは、書き出すと長くなるので、やめておきます。そのうち、写真を載せて説明するかも・・・。 さて、話を戻し、振りの練習に入ります。まず、先輩の見本から始まったのですが、どうも一人一人動きが違う。少しくらいの個人差はあるのかもしれませんが、明らかに違う振りもありました。そこの所を聞くと、「まあ、気にせんといて。だいたいでいいから。」と言われました。「じゃ、どないせーちゅうねん!」そう言いたい所を我慢して、見よう見真似でやり始めました。 先輩 「日野、こうや、わかるか?」 僕 「うーん、こうですか?」 先輩 「ちょっと違うな、こうや。」 僕 「うーん、こうですか?」 先輩 「おっ、そんな感じや」 僕 「なんも変えてませんけど・・・」 先輩 「・・・そっそう?」 思ったとうり、適当や・・・。明らかに違う動きをすると指摘されますが、細かな動きはわからないのか、何も言われません。 「ちょっと一人で練習します」といい、少し離れた位置から全員の動きを観察することにしました。力の入れる瞬間、抜く瞬間、手の位置、角度、体重移動の仕方・・・等など、隅々までじっくり見ました。すると、はっきりはわからないけど、全体の動きが見えてきたのです。そして、再び太鼓に向かって叩いたところ、みんなが驚きました。 「もう、マスターしたんか?」 「おまえ、変人やろ?」 「おれら、半年位かかったのに、なんですぐ出来るねん!」 勝った・・・一人で笑みを浮かべながら、みんなの驚く顔を見ていました。 ちょうどそのころ、そとにいた2人は、「夏」の出だしでつまずいていました・・・。 2003.07.01 |
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当たり鉦(あたりがね) 四季打ちをマスターしてから、1週間位たったある日、外で練習していると、部長に呼ばれました。 部長 「日野君、新しい曲やるんやけど、鉦叩いてほしいねん。」 僕 「は?鉦ってなんですか?」 部長 「ほら、祭りなんかで、チンチキチンチキ鳴ってるやつあるやろ?」 僕 「あーわかります。」 部長 「ちょっと中へ入ってきてや。叩いてほしいねん。」 僕 「わかりました。」 内心では、「鉦なんか嫌やなあ」と思いながら、中へ入ると、先輩方5人が曲の練習をしていました。どうやらその曲は、今度のイベントの時に演奏する様で、編曲をしているみたいでした。 部長 「この曲は【しまい太鼓】っていうねん。鉦のパートもあるんやけど、誰も叩かれへんから、日野君に頼んでんけど・・・叩いてくれるか?」 僕 「いいですけど、難しいんですか?」 部長 「うん。でも日野君やったらいけるやろう。」 なんて無責任な・・・!と、ブツクサ思いながら、鉦を手に取りました。 鉦は手のひらサイズで、ちょうど丸い灰皿に良く似ていました。それを叩く道具が、 「じゃ、やってみようか?適当にあわせてなー。」 なんだって?聞いたこともない曲に合わせろなんて無茶苦茶や!ましてや叩いた事もないのに・・・。そんな、僕の心の叫びも空しく、曲が始まった。とりあえず、一回聞いてみよう、と思い、聞く事に。しかし・・・ボロボロすぎてわからない。 そのとき、「すみません、さっ 「あったで、これや。」 2003.08.06 |
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当たり鉦パート2 その楽譜は、確かに音楽隊の人が書いたみたいで、きちんと、五線譜に書き記されていました。部長が「さあ、もう一回やってみよか。」と言ったので、曲が始まりました。先輩方はボロボロでしたが、僕は難なく最後まで終えると、部長が来て、 部長 「今渡したばっかりやのに・・・完璧やん!」 僕 「思ったより、簡単でしたよ。」 部長 「いや〜凄い、なあ下さん?」 下さん 「やるなあ〜日野!さすがや!」 部長 「鉦のパートは、日野で決定やな。」 僕 「ありがとうございます。」 こうして、僕のパートは決まり、みんなで繰り返し練習していったのですが、最初のうちは、当たり前ですが、よく注意されました。「日野君、少し早いで」とか「もう少し大きく」等など言われ、その度直して行ったのですが、「少し早いで」と注意されるのだけ、しばらく続きました。「おかしい・・・」そう思い始めたのは、パートが決まってから、3〜4日ほど経った時でした。最初は、本当に少し早いのかなと、思っていましたが、どうも「僕が早くなってるんじゃなくて、他が遅くなってってるんとちゃうんか?」と感じたのです。そしてそれを確かめる為に、ある日練習の時、メトロノームを持っていき、ヘッドホンで聴きながら鉦を叩きました。・・・結果、他のパートの方達が遅れていました。 僕 「すんません。僕が早いんじゃなくて、みんなが、遅くなっていってる気がするんですが・・。」 部長 「ほんまか?おーいみんな、遅くなっていってるみたいやから、気をつけろよー。」 みんな 「はーい。」 「おい!それだけかい!ほんまええ加減や!僕が注意されてたのはいったい何やねん!」そう思いながらも、一緒に練習していましたが、しかし、日数を重ねても、相変わらず、遅くなっていくのは変わらないし、ろくにフレーズも叩けていない状態が続きました。イベントまで約1週間と迫ったある日、下さんが僕に言いました。 下さん 「日野、ブラバン(ブラスバンドの略)でやってた時の練習方法を、使えるのあったら、みんなに教えてやってや。」 僕 「え?いきなり何ですか?」 下さん 「今まで、この太鼓隊は、リズムやテンポに対して大雑把やってん、わかると思うけど・・・。」 僕 「はい、無茶苦茶ですよね・・・。」 下さん 「俺も嫌やったから、基礎から直したかったねんけど、みんなこんな調子やから、どうしようもなかってん。」 僕 「それで?」 下さん 「そこへ、キチンと叩けるし、テンポもしっかりしてる、お前が入ってきたやろ?。逆にみんなの雑なのが目立ってきたから思ってん、やっぱ、このままじゃあかんなって・・。」 僕 「はい・・・。」 下さん 「でも、俺はもうすぐしたら、事情により太鼓隊から離れなあかんねん。だから次はお前がみんなを引っ張って行ってほしいねん。」 僕 「そうなんですか?でも、いきなり僕が前に立ったら、みんな嫌な気がしません?」 下さん 「それは大丈夫や。みんなに聞いてみたから・・。でも今すぐ前に立てっていうのは、しんどいと思うから、少しずつ教えていってほしいねん。どや?」 僕 「・・・わかりました。」 次の日から、僕は下さんと部長と共に指導のほうへ回り、太鼓隊を引っ張っていくことになりました。 僕の初出演まであとわずか。色んな練習方法を教えながら、日を重ねてゆき、その日を向かえました。 続く 2003.08.29 |
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初公演 その1 某月某日 16:00 太鼓部屋 今日は、僕にとって、太鼓打ちとして、初めての公演日です。前日は、衣装合わせのため、初めてハッピというのを、着ました。着方がわからず、先輩にあれやこれやと教えてもらいながら、サイズを合わせ、部屋に帰りアイロンをあてて、少し緊張して眠りにつきました。そして今日、太鼓部屋に集合して、太鼓を搬出しています。 本来、仕事の時間中であるのに、なぜ、こんな事をしているのかというと、自衛隊では、広報活動(一般市民とのふれあい・・・例えば公演等)をする時は、よっぽどの事が無い限り、そちらが優先になり、自分の職場を一時的に離れる事が出来るのです。 さて、太鼓の積み込みが終わり、車に乗り込むのですが、移動の間は、たいていが、トラックの荷台に乗車します。「え!?トラックの荷台??」と、よく聞かれますが、自衛隊のトラックの構造を少しいうと、荷台は、向かい合った長椅子が、両サイドにあります。地下鉄や普通の電車を想像してもらえると、分かりやすいのですが、そういう作りになっており、約20人位乗る事が出来ます。公演とかに関わらず、移動の際は、大半がここに乗車し、移動するわけです。 話を戻して・・・荷台に乗車した僕達は、忘れ物が無いか最終確認をし、出発しました。今日の公演場所は、大阪梅田にある、【阪急ホテル】という所です。移動の間は、ウォークマンを聞く人、寝る人、歌う(?)人、練習する人・・・それぞれ思い思いに時間を潰しており、僕はというと、もちろん練習していました。(緊張していたので・・・) 18:00 渋滞があり予定より少し遅れて、現地に到着しました。急いで、太鼓を搬入し、セッティングにかかり、それが終わると、部長が「着替えようか?」と言ったので、全員ハッピに着替え、待機していたのですが、演奏開始までしばらくあるので、ご飯を食べに行こうと部長が言いました。「ハッピのままで?」と僕は思ったのですが、みんな移動し始めたので、ついて行くことに。 梅田のど真ん中を、ハッピを着た10人、その前後には自衛隊の制服を着た3〜4人(僕以外の新人は今回演奏しないので、制服です)が歩く姿は、異様だったのか、注目の的でした。(当たり前や・・・!)そのまま、飲食店に入ったのですが、店員さんやその他のお客さんは、当然驚いています。しかし、お構いなくドカドカと入っていく異様集団。おそるべし・・・。食事も早い早い!疾風のように食べ、全員食べ終わるや否や「食い終わったか?よっしゃ行くで!」の合図で立ち上がり、またドカドカと出て行きました。みんな、あっけに取られていたのを、今でも覚えています(笑) ホテルに戻り、しばらくすると、本番の時間が来たため、先輩方が行きました。今回は初めに10分、最後に10分と2回公演で、曲目は、前半が【出陣太鼓】【春馬】後半は【飛龍】【しまい太鼓】の4曲です。僕の出番は後半のラスト1曲だけなので、前半は控え室でしばらく待機です。 前半の2曲が終わったらしく、みんな帰ってきました。失敗もあったらしく、口々に、あーだ、こーだと言っていますが、そのときの僕は、緊張して、聞くどころじゃありませんでした。 そして、しばらくして、後半演奏の為呼ばれました。いよいよ出番です・・・。 続く 2003.10.16 |
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初公演その2 後半は【飛龍】という曲から始まりました。この曲は、二匹の竜が、天に昇る様を表した曲らしいのですが、どう聞いても、どう頑張っても、想像出来ません・・・。演奏の出来はというと、走りすぎで、グチャグチャでした。そして、最後の曲が【しまい太鼓】です。なぜこの様な曲名になったのかは、誰もわからない様です。この曲の特徴は、締太鼓、当たり鉦を使った唯一の曲で、また、宮太鼓は、斜めにして打ちます。振り付けも、他の曲には無い独特なものがあり、内容はともかく、僕が一番好きな曲です。 さて、いよいよ曲が始まり、みんな練習通り順調に進んでいましたが、ここでハプニングが発生!同期の藤君の太鼓が、太鼓の台と上手くかみ合っていなかったせいか、滑り落ちたのです!すぐさま、太鼓を持ち上げ、斜めにして叩き出すのですが、慌てているせいか、キチンとセッティングされてなく、またまた滑り落ちました。焦る藤君。その様子が後方で鉦を鳴らしている僕にはよくわかりました。しかし、「すまん、藤君!なんとかしてあげたいけど、自分で精一杯や!」と、心の中で思っている時、観客の一人が近寄ってきました。そして太鼓を持ち上げ、藤君と一緒にセッティングを手伝ってくれたのです。「ありがとう、どっかのおっさん・・・」 その後は、何事も無く、曲が終わり、一礼をすると、大きな拍手をいただきました。懐かしいこの感覚。高校の時、あちこち演奏しにいって、いただいた拍手を思い出しました。 「やっぱり、人前で演奏するのは、気持ちがいいなあー」 控え室に帰り、部長に呼ばれました。 部長 「日野君、出来はどうやった?」 僕 「少し緊張しましたけど、完璧でした!」 部長 「さすがやな〜。全体的にはどうやった?」 僕 「やっぱり、流れが悪いですね。早くなったり、遅くなったり・・・」 部長 「そうか・・・、また帰って、やらなあかんな。」 僕 「はい。」 そのあとは、すぐ後片付けをし、太鼓をトラックに搬入して、駐屯地にむけ帰りました。 続く 2004.01.02 |