初の海外ツアーを終え、メンバーに感想をききました。






 初めてのツアー。なんとかというか、やっとというか、どうにか切り抜け、無事に帰ってきた。
メンバーのみんなも疲れたと思うが、私も疲れた・・・。
 何が?と聞かれれば、『言葉』という問題である。当然私達の日本語。韓国は韓国語、トルコはトルコ語、台湾は中国語と台湾語。そして共通の英語。少なくとも毎日この6カ国語が、あちこち飛び交っている。一応エスコートに少しの日本語と、少しの英語、台湾語が話せる方が付いてくれてはいるが、かなり情報が錯乱していため、それに不安と苛立ちを感じ、高校卒業以来初めて、英語を勉強した。
 何をするにしても、最終の決は、リーダーが下す。「わからんかった」では済まされない。済まされない場所でもある。そのためには、少しでも英語が話せないと、理解できないと、話にならない・・・。幸い、メンバーの中に英語が少し話せる者がいた為、毎日色々、太鼓に関係のある、必要事項等の英文を聞きまくり、それを実戦で試した。わからない言葉は覚え、メンバーに聞き、また試す。毎日それの繰り返しだった。それだけでも、英語力の無い私には大変なのに、かつ、演奏の状態や、メンバーのコンディション、次のスケジュール、舞台での配置等、当たり前だが、すべて管理する。リーダーミーティングもある(会話は英語)・・・。毎日が必死だった。全力だった。助けなどない。だんだん疲労も溜まってくる。リーダーという重圧が重く圧し掛かってくる。しかし、今思えば、それが良い経験になったと思っている。「何でも必死に」が、本当に大事だと実感したツアーだった。 
 余談だが、他のチーム(特に韓国)から、大変気に入られ、毎晩私一人(ほとんど)で、チームの部屋に招待され、お酒をかわし、音楽を聴き、リズムを学び、また教え、色々な話をした(毎晩夜中の2〜3時は当たり前)。そして、部屋に帰り就寝・・・。とまあ毎日がこんな状態のため、しかもすべてが初めてのため、大変疲れたが、、、、楽しく、勉強にもなった。





 7月24日に日本を出発。台湾へ向かう。太鼓衆一気『初』の海外公演である。
そんなに緊張もなく台湾の地を踏む。
 台湾の空港ではすでに通訳の方が待機しており、その足で最初のステージまで案内された。ここで緊張が高まる。
初めての台湾での演奏。『太鼓衆一気の音楽が受け入れられるだろうか?』『はたして成功するだろうか?』など。色々な事が頭をよぎる・・・。そう考えるうちに出番がやってきた・・・心の準備はまだ出来ていない・・・。そう思いながらも舞台に立った・・・・・・瞬間、今まで考えてた事が全て嘘だったかのように消し飛んだ。それまで高ぶっていた緊張もほどよい感じに・・・。
何も考える必要など無かったのだ。自分が今まで積み重ねてきたものを全て、客(見ている人全て)に見せるだけ。見せて感動させるだけなのだから。初日も無事演奏し終える事が出来、ホテルへ向かった。

☆台湾で叩いた第一印象『日本人よりノリが良い』それから、何度か演奏をしていったのだが、舞台でも『初』な舞台があった。標高3000b近い山の山頂での演奏だ。山の名は『阿里山』
 演奏する舞台の周りには雲の海、『雲海』とゆうやつだ。生まれて初めて見た。美しい・・・。 言葉をなくしかけた瞬間。山の向こうの方が、明るくなってきている。日の出だ。これまた美しい。日本で富士山に登った人が「またいつか・・・」という気持ちになるというが・・・気持ちがわかる。
しかし景色と演奏は全然関係なく、演奏を始めた途端・・・『苦しい!?』・・・・!!そうだ、空気が薄いのだ。ちょっと体を動かしただけで息切れが・・・。なんのこれしきと思い、思いっきり息を吸ってみるが、結果は一緒だった。酸欠になりそうになりながら、演奏は終わった。
 その他にも『海辺での演奏』『砂浜での演奏』などがあり、色々な体験をさせてもらった。
最後に改めて実感した事がある。
音楽に国境は無い
どんなジャンルにせよ、音を楽しむ事に変わりは無い、という事をきずかされた貴重なツアーだった。





 台湾ツアーで楽しかった一面と言えば、演奏ではなく、他国のプロチームの交流ですね・・・。初めは言葉もわからないし、何て声をかけていいのか・・・しばらく考え、ギャグでウケるか試してみようと、早速トルコチームの一人に、間平のギャグで「アヘアヘ」と、一発かましてみれば、なんと大爆笑!これでツカミはOK。その後、言葉はわからないなりにも、ゼスチャーをしながら話は盛り上がっていき、夜中の12時を過ぎているのに、そのトルコチームの一人がギターらしき物を持ってきて披露。さすが、トルコでも有名な人だけあって上手い、渋い、最高!2曲目が始まると、その曲を聴いていたトルコメンバーの一人が、見た事の無いような笛で、いきなり飛び入り参加。しかも、でかい声で歌まで。夜中というのに・・・。また一人、また一人とだんだん音量が大きくなっていき、一気のメンバーどうしで目を合わせて、やばいな〜、調子にのらせすぎたな〜、寝るに寝られへんなってしもたな〜という、視線を送りあっているだけでどうすることも出来ず、ほとんど寝れなくて、大変な夜でした。だけど、しみじみ感じさせられる音色、トルコの国を思い浮かべられるような、笛と歌。小さな太鼓で指先を使って打つ高度なテクニックは、最高でした!

台湾ツアー中正紀念堂にて・・・
 演奏回数も4回目になり、そろそろ調子が出だしてきたころ、今日はB’zの野外ライブを思い出させるようなステージと客席。ほど良い緊張感と今日もカマしたるで〜の意気込みで・・・。そして、リハでのマイクの音の調節が上手くいってないのと、湿気で太鼓が響かないのとで、時間もなく、満足のいくリハが出来ないまま終わってしまいました。それでも、カマしたるで〜の意気込みで、いざ本番へ。曲が始まった瞬間から、周りの音が聞こえず、自分の音すら聞こえてるのかわからない状態で、無我夢中で叩いていました。演奏が終わり、悔しさがこみ上げてきました。原因は、リハを少しなめていた自分がいました。
その後の韓国チーム、トルコチーム、台湾チームと一気チームの時とは違う拍手に聞こえ、腹がたって腹がたって、明日のステージ、絶対カマしたる!絶対に明日は!とその日の演奏を終えました。
 次の日、今日は海岸での演奏。昨日のカリは絶対に返すという気持ちで・・・。天気も良いし、太鼓の響もまあまあ、リハも順調。よっしゃー、本番やー、いってまえー!
炎天下の中1曲叩くだけでも、倒れそうなくらいの暑さ。それでも必死で叩きぬき、演奏が終わった時は、やったった、という気持ちでいっぱいでした。その後、サイン攻め、写真攻め、お客さんがここまで感動してくれた事に、嬉しさがいっぱいでした。太鼓っていいな〜って、つくづく思った一日でした。



太鼓衆一気に入団し一ヵ月後に台湾ツアー・・・・・
 今年4月の成田山の太鼓祭りで太鼓衆一気の演奏に圧倒されたのが入団の始まりだった。仕事を辞め、太鼓に専念すべく大阪へ。リーダー、私と同じ新人の山本君と共に共同生活が始まった。
今まで、太鼓はおろか、音楽などまともにやったことのない私が、たかだか一ヶ月で何か出来るわけではないが、やれるだけやろうと心に決めた。
この1ヶ月間で何とか2曲を覚え、演奏も何とか出来るというレベルでの台湾ツアー参加。私にとっても、そして太鼓衆一気にとっても初めての海外ツアーだ。13日間のツアーで、我々日本チームの他に、韓国2チーム、トルコ1チームそして台湾のチームの計4チームが参加。
 一番印象に残っているのはやはり中正記念堂での演奏。そこが私の初舞台となった。ものすごく緊張した。トイレは近くなるし、心臓はバクバクしてくる、そして会場を見ると4,000〜5,000人が集まりこちらを見ている。(当たりまえだ 笑)
「どうしよう・・・・」「どうしようもへったくれあるかい!」自分に突っ込みを入れなが舞台に上がり演奏の準備、リーダーの
SOLOが終わり、いよいよ「ヨイサ! タカタカタッタ」ドンドン「タカタカタッタ」ドンドンドンドン・・・・・
無我夢中だった、スポットライトを浴び、観客の視線を浴びる。練習とはまるで違う感覚音、視界は狭くなり、隣の音を聞く余裕などなかった。そして、ずいぶん間違えた・・・。これが私の記念すべきデビューでした。これからひたすら練習です。道のりは険しい〜と実感させられた舞台でした。
13日間のツアー中は他国チームといつも一緒に行動。誰かがリズムを刻めばすぐに他国のメンバーがやってきて教えあいの交流が生まれたり、ギャグをかましたりとにかく毎日てんやわんやでしたが、言葉は通じなくても、「音やリズムで話すことは出来るんや!」とつくずく感じました。他にも言葉に出来ないぐらい多くの事を見て、聞いて感じてきました。
これから自主公演、ウクライナツアーへと太鼓衆一気はシフトしていきます。皆様の前に出て恥ずかしくない演奏を目指し日夜稽古に励みますので応援宜しくお願いします。
 





 今回、初めての海外ツアーに参加して印象に残っている事がある。
演奏を終えたミュージシャンたち、その夜は4カ国チーム入り乱れての大宴会になる。もちろん会話は英語になる。ある他国のチームの方が「すみません、母国語で喋るがいいですか?」と前置きしておいて、そのチームの人と母国語で喋る。その言葉が通じる者同士母国語で喋っていたら、聞いている他国の人は不快を感じてしまうからだ。
 そして大宴会が始まる、各国で歌を披露する場になった。それぞれのチーム一丸になって母国の哀愁のある歌を歌う。そしてジャパンの順番が回って来た。
誰一人、歌えない、どの歌も頭に浮かばない、その場にいた6人、一曲も選び出す事もできず、ぐずぐずしている間に他国のチームの人を怒らせてしまった。流行した日本の歌「上を向いて歩こう」を苦し紛れに思い出し歌った。
僕たちは日本の事を余りにも知らない。たった一曲選び出すのにどれだけ時間がかかったのだろう。それほどどうでもいいようなくだらない事が余りにも多すぎて、大切な物が地の底に埋もれてしまっているのだろう。世界に出ているのに日本の誇れる物さえ知らずに。
僕らはミュージシャンより前に、和太鼓奏者より前に『日本人』であるのに。

台湾ツアーにて

     平田重佑
台湾ツアーを振り返って

       伊師雅人
良い経験になった、台湾ツアー

       水野竜隆
リーダーの重圧

 日野イッキ
世界の中の日本人

     山本直樹