HATA's International Folklore Drum Festival in Daegu 2005
メンバーレポート

日野 イッキ
久々の海外公演。約1年ぶりだ。今回のチームの目的は、当たり前の事だが、やはり「かましに行く!」だけだ。やるなら1番!だからだ。それ以外に、何も無い。ただ私自身がそれ以外に、幾つかの目的というか、試してみようと思う事項があった。
まず、今回は約1年半ぶりにトルコ、そして韓国のサムルソリの方々と会う。また台湾、サムルソリと同じ韓国のHATAとは1年振り。1年半前そして1年前に、観た時の印象、感じた事、思った事、と、今回観て感じたこと等を、比べてみようと思った。つまり自分の成長を試そうと思ったのだ。次に、前回の韓国公演で出来なかった、日本人らしさ(?)を、常に心がけようと思った。当たり前の事だが、その当たり前が、周りの雰囲気に流されてしまって出来なかった前回の二の舞だけは踏まぬよう、今回は心がけてみた。最後は演奏時の自分との勝負だ。何度も演奏している曲であるが故に、誰に聞かせるのか?何を伝えたいのか?何をしたいのか?等が曖昧になってないか。また、かましに行く!と思っているだけになってないか?
結果、まず他国の印象だが、「あれ?こんなもんやったか?」という感じを受けた。また、何を伝えたいのか、というのがまるで無かったので、たしかに演奏は良かったのだが、「・・・で?」という言葉が出てしまった。これは前回感じなかった事なので、素直に受け止めた。しかしリズムは本当に面白い。自分の知らない、または複雑なリズムを聴くと、会得したくなる性質なのか、今回もまた、各チームに寄って行っては、リズムを教えてもらい、パクった。しかし、演奏自体、私が目指す音楽とはかけ離れていたので、「・・・で?」に繋がったのだ。
次の課題で特に注意したのが、食事の時だ。こちらのテーブルは日本のちゃぶ台よりも、ずっと低い。だから、胡坐が高さ的にはちょうど良くなる。しかし私は日本人。きちんと正座してご飯を頂いた。その結果、他国から好奇な目で見られたのだ。何だその座り方は?という目を向けている。「どうしてそんな姿勢で食べるの?」「日本の文化だからです」「ふ〜ん」別に、どう思われようが構わないが、自分は日本人に変わりが無いのだから、最後まで貫き通した。少々テーブルが低いので食べにくかったが・・・。
最後は最大の難関だ。今回はステージに上がると、一人の観客だけに集中した。ずっとその方から視線を外さず、また横を向いても、その視線を感じることに心がけた。そいつだけに聞かせよう、音を届けようと。それが全体に聞かせるために繋がると、勉強してきたからだ。最初から最後までとはいかなかったが、ある程度その方の視線を感じることが出来たが、所詮ある程度なので、出来たとはいえない。
今回の公演を通じ、自分の成長が見れたのと同時に、演奏時の意識や人との繋がりに対して、沢山課題が出てきたので、楽しくなった!だって自分が成長する為の糧を沢山見出せたのだから・・・。


平田 重佑
21日の朝、キャラバンに太鼓を積載し、メンバー全員で寮を出発。空港に到着後、荷物を預けそのまま時間まで待機。出発組のメンバーは各自、待機の間、タバコや読書などで時間を潰す。一方残留メンバーは寮へ・・・。やがて飛行機の時間になり、韓国行きのメンバーは、飛行機に乗る。私はそのまま夢の中へ・・・。気が付くと、機は韓国の地を踏んでいた。そのまま韓国チームの出迎えによりホテルへ。この日は、そのまま何も無く就寝。2日目は朝食弁当に始まる。今日から舞台があると聞いていたので、舞台の心構えをしていたが、舞台が無いとリーダーから報告があり、そのまま各自練習。この日はこのフェスティバルの主催者が、ご飯をご馳走してくださり、「すし」「さしみ」等、日本的なものを、頂く事に。今日も同じホテルに泊まるという事で、ホテルに帰り素振りなどをしたのち、就寝。3日目、この日はいよいよ舞台がある日だ。朝から移動の準備をして、そのままホールへ。各チームのリハを行っていって私達のチームの番になり、リハ開始。『照明』『マイク』『太鼓』をセッティングして少し曲を流し終了。その後本番まで待機なのだが、やはり時間が経つのが遅い。本番までの間に衣装に着替え身体を温めるごとく、素振りをし、本番に備える。やがて本番が始まり、私達の出番が来た。やはり何回も舞台をこなしても緊張はするもので、各自に緊張が走る。舞台に立つと、一気に鼓動が高まる。その後、「あっ!」という間に演奏終了。残念な事に、来客は半分弱といったところ。だが、客の数など気にせず、今来ているお客さんに私達の演奏の全てを聞いてもらう・・・。どうやらほぼ全てのお客さんに満足してもらったような、拍手を頂く事が出来た。演奏終了後、各チーム太鼓を片付け、ホテルへ。今日のホテルはペンションらしく、各チーム1部屋しかない。雑魚寝状態であるが、私は関係なく就寝。4日目。この日の舞台は私達の前のチームが、ドライアイスを演出で使用したため、息苦しい。演奏中は何ともないのだが、その前後に苦しさが襲ってくる。やはり、ドライアイスはどうしたものか・・・。まあ、今日の舞台も無事成功!?して、終了することが出来た。今回や前回の海外演奏は、特にこういうフェスティバルなどは、他のチームの演奏が聞けるので色々勉強になる。これからも、他の国の音楽を勉強し、それらを自分の知識の中に加えていくため、もっと色々なチームとの共演、触れ合い、学んで行こうと思う。

伊藤 亜衣子
初の海外での演奏。
どんなものなのかまったく想像出来ず、不安でもあったが、逆に凄く楽しみでもありました。
一回目の公演。公演がスタートしてから、自分達の演奏まで1時間以上もある中で、公演が始まる前から、かなり緊張していました。自分達の出番が近づくにつれ、その緊張はさらに増し、今までにない位緊張して、指の先、足の先までジンジン痛くなり、今でもあの本番前の事を思い出すと、指の先、足の先が痛くなります。
そんな緊張の中立ったステージでしたが、今まで立ったステージとは、チョット違った感じでした。私はいつも緊張した状態でステージに立つと、頭の中が真っ白になり、ただただ無我夢中で叩いてしまいます。でも、今回のステージでは、こんな緊張していたにもかかわらず、「かましたる!」「どのチームにも負けない!」という気持ちが物凄く強く、「お客さんに聞かせる!」「観ている人すべてに聞かせる!」という思いで叩き、ただ思っているだけでなく、太鼓に少しでもその気持ちが表せたと思います。
本当に気持ちの良いステージでした。今回、こんな貴重な体験をさせて頂いた事に、凄く感謝しています。この経験を活かし、自分のレベルアップにつなげていけたらと、思います。最後に、韓国の料理は、本当に辛かった!!


増尾 公三朗
ハングルの犇く町並み。重量制限との戦いを制し、大小の荷物を手にブラックの上着を纏った4人の一行は、韓国の地に降り立った。この季節、街のあちこちでクリスマスツリーが飾られる風景は、日本とそう変わらない。屋台でお好み焼きを食べ、1,000ウォン均一ショップでやけに甘い缶コーヒーを買い、ホテルのテレビで日本各地の積雪状況を確認してゆっくり休養をとった次の日、第一弾の舞台が待ち受ける。
太鼓を締めにかかると、忽ち気が張る。各国の控え室からは、様々な楽器の音が聞こえる。僅か20分ばかりのリハーサルでは、鼓面が高い、互いの音が聞こえない等の難点が浮かび上がった。時間があればひたすら椅子を叩き、フレーズを馴染ませる。・・・そして本番。
オープニングでは、出演者が場外から賑やかにパレード。Gジャンの4人組は、アルミバケツの蓋をシンバル代わりにバンバン打ち鳴らす。一頻り賑やかなムードに包まれた後、各国チームの演奏へと移る。大道芸人風の韓国、振りが独特な台湾、超高速でリズムを刻みつつ観客をたのしませてくれるトルコ、煌びやかなタイ舞踏など、それぞれがどれも一見の価値を持っていた。しかし、出番が近づくにつれ、傍観する余裕は失せてゆく。
タイの舞踏が終わった。すぐさま前に進み出る。打つ。あっというまの3曲。並んで礼。一先ず胸を撫で下ろす。エンディングは再びお祭騒ぎ。あれよという間にお客さんが入り混じり、老若男女が打ち興ずる。今回の韓国のメインとなるステージは、こうして幕を閉じた。演奏自体はともかくイベント全体としては成功だったと思う。地元韓国を除くと、日本に対する反応は際立っていた。太鼓以外で感じたことは、語学の必要性と、韓国人の人の良さ。親切な持て成しのお陰で滞在中、言葉以外で不便を感じたことは、ほとんど無かった。お別れの挨拶は「see you next year!」だった。


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